
第三章 身体と精神
如何に身体が完全にあっても精神がなければ斃れてしまう。また如何に頑強な精神の持ち主でも身体が不完全であれば完全なる活動はできないのである、故に我々は身体も精神も共に健全でなければならないのは申すまでもないことである。所で我々の生理的作用も生活上全ての活動も皆精神がその原動力となるのである。
故に精神力猛勢なるものは身体も強健であり、全ての活動も積極的である如くして世の勝利者となるのである。
すでに述べたが自然療能も精神に左右されるのである。故に病に罹ったものが悲観したり落胆したり懊悩したりしてすなわち精神の苦悶をする時はその精神は自然療能作用の妨害となりまたあるいは自然療能作用を抑えつけてしまうものである。故に病は益々悪化していくものである。
病にかかったものが、病に対する悩みを捨て病を忘れてしまう時は、自然療能は全力を挙げて活動を起こすからよほどの重病であっても治ってしまうのである。
更に楽天の精神になると、より早く病は治るのである。故に楽天的の人に病人は少ないものである。世間でご苦労なしと言われている人や、呑気生と言われている人は病気に掛かる人はすくないものである。
この大自然の理法をよく理解して病で悩んでいるものは、まず第一に自然療能の妨害をしているものを除き、そして万苦に打ち勝つ勇猛心を起こしもって積極的に自然療能を猛烈に作用させる方法を合理的に講ずることがいかに真理にかなった療法であるかを悟らねばならぬのである。
精神と肉体との関係または病や癖と精神との関係をよく知れば知る程精神の威力を発揮することもできる、自然療能も猛烈に起こすこともできるのである。
消化機能に及ぼす精神作用
非常な心配のある時や恐怖のあるときや激高した時その他精神的に非常事件のある時などは、どんな空腹の時でもまたどんな好きな飲食物でも食べられもせず、飲めもせぬものである。
また梅干しや砂糖を見たときやまた自分の大好物を見た時などはこれを食べなくとも唾液が盛んに出てくることがあるものである。酒の大好きの人などは酒の話を聞かせただけでも胸のあたりでグーグーと鳴り出す、ついには舌鼓まで打つようになることがあるものである。
これはいずれも精神が消化機能に左右する結果である。
各の如く消化機能は精神に支配されるものであるから、如何に滋養分の多いもので且つ消化しやすいものでもこれを大嫌いなものが食べれば消化もせず、身体の栄養にもならぬものである。滋養どころかいたずらに消化器を疲労させるから結局身体のたまにならず、かえって害になるものである。
これに反して、大好物であれば、たとえ滋養分の少ないものでよく消化し吸収して身体のためになるものである。
呼吸機能に及ぼす精神作用
非常な心配や恐れや憂いなどが有る時は呼吸は必ず変調するものであることは何人もが経験していることであろう。呼吸が変調するのは申すまでもなく呼吸器の作用に変調を起こした現象である。これすなわち精神が呼吸機能に作用している結果である。
かくの如く呼吸器は精神に支配されているものであるから、心の持ちようで呼吸器病にもかかりもするが、またすでに呼吸器病にかかっているものでも心の持ち方で治りもするものである。
この他循環機能、排泄機能、生殖機能、発語機能に至るまで全てが精神に支配されるのである。
治病治癖の奥義
以上に述べたのは、精神と肉体の関係および精神と各器官の機能との関係並びに精神と種々の疾病や悪癖との関係についてのその一部分を参考までに述べたに過ぎないのであるが、要するに吾人の身体の生理的機能が精神に支配されているのである、従っていわゆる疾病を精神的方面から治す方法を講ずることがいかに合理的であることかを悟るべきである。
ただし精神万能屋になってしまってはならない。疫病によっては非常によく効く薬物もありまたよく効く医療もある。